ARCHIVES

【2020.10.12更新】

LINKIN PARKの1st『HYBRID THEORY』が発売20周年を迎えた。それを祝し、かつてGrindHouse magazineに掲載した記事を2本再公開する!
まずは、『HYBRID THEORY』がUS盤発売されたことを受け掲載した小さな紹介記事だ。有島が初めて雑誌媒体に書いた記事だ。

2000年12月1日発行GrindHouse magazine Vol.03

いきなりなんだけど、このド新人LINKIN PARKのサウンド、心と体にグッサリ刺さり、思いっきり泣きまくりで感極まった!むちゃイイ、デビュー作『HYBRID THEORY』は一発でお気に入りとなった。
彼らはパサディナあたりを中心とする南カリフォルニア産。デビュー作のタイトルとしたHYBRID THEORYを最初バンド名に活動しだした彼らは、ハリウッドの老舗名門クラブ、Whisky A Go-Goでめでたくライヴデビュー。その後メジャーWarner Bros.との契約をゲット、バンド名をLINKIN PARKに改め今回のデビューを迎えた。
そのサウンドを一言で言やぁミクスチャー。それもヘヴィミクスチャーじゃなく、重量感に満ち、“大泣き”“小泣き”がしょっちゅう訪れるミクスチャー。「ん?」となって当然だけど、重厚で肉厚なリフがガンガン鳴りつつうねり、跳ねるビートがそれを支え、引っ張る。で、その上で少々歌い上げ系なメロディックヴォーカルにリズミックヴォーカル、そしてラッピングヴォーカルに絶叫ヴォーカルがときに絡み合い、交錯もし合い、ときに各々がピンで自己主張しながら、何度も訊かせどころを作り出していくというものだ。
ミクスチャーならではの持ち味や魅力をきちんと持ちつつも、非常にわかりやすく、また入っていきやすい。で、極めつけはなんと言ってもメロディ感覚、というかメロディの鳴り方、響き方、刺さり方。日本人独自の琴線をもろに打ち、涙腺をいたく刺激して止まないものだ。US盤はとっくのとおにCDショップの店頭に並んでる。日本正式デビューは2001年1月。悪いこと言わん、ぜひぜひチェックしてみて。(有島博志)

続いては、『HYBRID THEORY』の日本盤化に合わせ、インタヴュー記事を初掲載した。バンドへの初インタヴューだったことからスポークスマンがメンバーの誰なのかの情報がなかったため、USレコード会社に人選をお任せした。結果、マイク・シノダが応えてくれた。

2001年1月31日発行GrindHouse magazine Vol.04

取材/文・有島博志
写真・マイカ・スミス

21世紀突入すんでのところ超大型新人“泣きミクスチャー”バンド現る!マジ必聴!!

前号Vol.03でさんざん大騒ぎしお祭りすらしたので、その名や存在を覚えてくれた人も少なくないだろう(笑)、超大型新人LINKIN PARKのインタヴューをお届けする。国際電話を通じ、いろいろ喋ってくれたのは、ツインMCのラッピング担当で日系のマイク・シノダ。実はこのインタヴューを終えた後の(2000年)11月22日、US中西部ミズーリ州カンザスシティでホント偶然に彼らのライヴを観れてメンバーとも話ができ、本ページの写真もそのときに撮り下ろした。

ーーデビュー作『HYBRID THEORY』発売後に初めてツアーなるものを体験してると思うんですけど、どうですか?
「確かにツアーに出るのは今回が初めてだよ。自分たちのホームタウンを離れ違う土地にいくっていうのは、やっぱり特別なことさ。たとえばニューオリンズ(US南部の大都市のひとつで、トレント・レズナーがナッシング・スタジオを持つところ)とかって、人から話を聞くばかりで実際に訪れたことはなかった。ところが訪れてみると、聞いた話とは全然違う。スゴくエキサイティングな街で、いくつものカルチャーが解け合っててとても刺激を受けた。ツアー中はそんな感じでいろんな街でさまざまな経験ができるからご機嫌だね。オレたちにとっての初ツアーはKOTTONMOUTH KINGSとの2ヵ月に及ぶものだった。それを終えた後、今度は(2000年)11月から、今のP.O.D.、(hed)p.e.、PROJECT 86とのパッケージツアーをスタートしたんだ。これまでのところうまくいってるし楽しいよ」
ーー初ツアーだけになにか心がけてることとかあるのでは?
「音楽的なことを言えば、このバンドを結成した5年前、オレたちがやりたいような音楽のミックスの仕方をしてるバンドはほぼ皆無だった。それはロックとヒップホップとエレクトロニクスミュージックを継ぎ目なく、一体となるようなミックスをすること。これまでにもさまざまな音楽の要素を混ぜ合わせたバンドはいたけど、“ここはロックパート”“ここはエレクトロニクスミュージックパート”って簡単にわけることができた。オレたちはその差がわからないくらい渾然一体とした独自の音楽が作りたかったんだ。そして、そういう音楽をライヴできちんと再現できるよう努めてる。だからオレたちのライヴにくるのも、いろんな音楽を聴く人たちであってほしい。普段はロックしか聴かない人が、たとえばヒップに惹かれ、“コレも悪くない”って思ってくれるようなライヴが理想だよ」
ーーたぶんツアー中に知ったと思うんですけど、驚いたでしょ(笑)、いきなりデビュー作が全米チャート16位に飛び込んだんだから。
「まったく意外だったから驚いたよ(笑)。ていうか戸惑った、という方が正しいかな。イヤ、なんて言ったらいいかわかんないな。わけわかんないけど、サイコーな気分だよ」
ーー新人バンドがいきなり激しいチャートパフォーマンスを見せるのって稀ですけど、なにが要因だと思います?
「いわゆるラップンロックとかニューメタルとかいうミクスチャー系にオレたちは属するんだろうけど、さっきも言った通り、そのミックスの仕方に独自のものがある。このバンドを始めたとき、そういうことをやるバンドはいなかったから自分たちでスタイルを作り、道を切り開くしかなかった。その後いろんなバンドが出てきて、それぞれのミックスの仕方に驚かされたりもしたけど、そんなふうに一応はジャンルに属しつつもオリジナリティがあるから、CDセールスに結びついたんだろう。それに加えて、オレたちにはファンによるストリートプロモーション・チームがあるんだけど、彼らの貢献もデカいよ。結成当初から組織してるんだけど、キッズにプロモーショングッズを渡し、それを友達にあげたり、口コミでオレたちの音楽を広めたりしてもらってる。世界中に800人ぐらいいるんだ。発売第1週の立ち上がりがスゴく好調だったのも、彼らのおかげもあると思う、絶対に」
ーーなるほど。第2週目は23位とややダウンしましたけど、そうした状況ゆえ毎週『Billboard』(業界向けチャート集計誌)を見るのが楽しみでしょう(笑)。
「(笑)イヤ、今とにかくツアー中なんでチャートポジションを確認するより、毎晩のライヴのことで頭がいっぱいだよ。ツアーはこの先もひたすら続くけど、訪れる街々でファンに会ったり、話ができることの方がチャート云々以上に嬉しいな。もちろんチャートを上がってることも嬉しいし、ビジネス的にも上手くいってるというのも悪くないけど、やっぱりファンに会えることが一番さ」
ーー南カリフォルニア出身らしいですね?
「メンバー全員、基本的にはロサンゼルス周辺に住んでるよ。サンタモニカ出身のヤツもいれば、パサディナ在住のヤツもいるから、“ロスに活動ベースを置いてる”と言ってる。このバンドは5年前に、オレとブラッド(・デルソン/g)で始めた。オレが初めて観たライヴっていうのがANTHRAXとPUBLIC ENEMYの共演ライヴで、“Bring The Noise”(もともとはPEの曲だけど、PEとANTHRAXがコラボしメタルラップ風に仕上げた名ヴァージョン)を聴きすっかりハマってしまったんだ!ホント、ヤラれたよ、あの曲には(笑)。その後RED HOT CHILI PEPPERS、FAITH NO MORE、THE BLACK EYED 、DE LA SOULとかを聴きながら、いろんなものをミックスしてなにか違うものを作りたいとやってきたんだ。オレとブラッド以外のメンバーに関しては昔在籍してたフェニックス(b)がまた戻ってきたんだ。だから彼はデビュー作には参加してない。ジョー・ハーン(dj)は大学時代の友達で、チェスター・ベニントン(vo)は2年前にオーディションを通じて加入してもらったんだ。彼はもともとアリゾナ州(地図上ではカリフォルニア州の右横の州)に住んでたんだけど、オーディションに誘ったらその翌日にはもうロスにきてくれた。エキサイティングだったよ」
ーーバンド名のLINKIN PARKの由来は?
「オレたち以前は作品のタイトルにもなってるHYBRID THEORYをバンド名として名乗ってたんだけど、同名バンドがすでにいたので名乗れなくなっちゃってさ。で、チェスターが住んでるサンタモニカ(ハリウッドから車で30分ほどのところにある海沿いの町)にある公園リンカン・パーク(Lincoln Park)から取ったんだ。だけど、そのスペルじゃ.comをつけたURLにできなかったので少し綴りを変えたんだ。今じゃこっちの綴りの方が気に入ってるよ」
ーー先ほどいろんな音楽を継ぎ目なく渾然一体とミックスすることを意図してきた、と言ってましたけど、もうひとつメロディアスでオールドスクール的な要素と、ヒップホップ、サンプリングといったニュースクール的な要素とのバランスも秀でてますよね?
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、そこまで明確なフォーミュラは持ってないんだ。面白いと思えるものには常に耳を澄ますようにはしてるけどね。だから車の盗難防止用のアラーム音からインスピレーションを得てできあがった曲っていうのもあるくらいなんだ。ブラッドがアパート裏の駐車場に停めてあった車のアラームが鳴った瞬間、小さなテープレコーダーで録音し、それをサンプラーに落としループを作り、そこからトラックを作ったんだ。残念ながらその曲は作品には入れなかったんだけどね。それとか“Points Of Authority”の2ndヴァースで使ったシェイカーは実は砂糖袋を振ったものなんだよね(笑)。そんなふうに耳はいつもアンテナ状態さ」
ーー最後に、今後の予定を教えてください。
「ツアースケジュールに関する最新情報は、すべてオレたちのホームページ(www.linkinpark.com )で引き出せるよ。バンド名の綴りを変えたのも、そのためと言っていいくらい、ウェブサイトはオレたちにとって重要なものだから。どうすればオレたちに会えるかは、そこでチェックしてほしいな。日本にはそんなに遠くない時期にいけると思うよ(2001年5月に初来日)。まだいったことがないから楽しみなんだ」

〈追記〉
このインタヴューから何年かして、サンタモニカを訪れる機会があり、バンド名のベースになったリンカン・パークにいってみた。街の中心地にあるのだけど、とてもこじんまりとした公園だ。

有限会社グラインドハウス Copyright (C) GrindHouse Ltd. All Rights Reserved.