かつてチェスター・ベニントンが語ったこと…2

Interview & text by Hiro Arishima

2011年9月、LINKIN PARKは7度目の来日をした。4th『A THOUSAND SUNS』(2010年)ツアーの一環で実現したものだ。その、幕張メッセでの初日公演開演前にチェスター・ベニントンに話を聞いた。新しい作品を出す直前のロサンゼルスでの取材ではチェスターに限らず、メンバーのピン取材には許諾が下りない(https://grindhouse.site/grindhousemagazine-backnumbergallery-linkinpark/ を参照)。よってピン取材をするには来日時を含むツアー中しかないのだ。チェスターへのピン取材は即許可が出たのだけど、取材時間はな、なんと10分!それまでの彼らへの取材時間は、どんなに短くても20分が最短だった。「売れっ子アイドルへの囲み取材じゃねぇんだから」とブツブツ言いながら「どうしたらチェスターは予定時間より長く喋ってくれるだろう?」といろいろ策を練りつつ取材当日を迎えたものだ。で、その頃チェスターをはじめバンドの面々は、自然災害による被災者の救済に一生懸命だった。その切り口で臨んだ。この取材記事は2011年11月30日発行のGrindHouse magazine Vol.69に掲載した。だけど今回アーカイブ公開ということで、再構成しつつ全文掲載する。

ーー来日してまだプレイしてないけど、今の気分は?
「最高の気分だね。大好きな日本にまた戻ってこれたわけだから。日本にいるだけで気分は上がるんだ。しばらく来日してなかったんで(2009年8月以来)、うっぷんが溜まってるくらいさ(笑)。とにかく日本が大好きなんだ」

ーー3月11日に起きた東日本大震災発生の一報をどう受け止めた?Music For Reliefを介して援助、支援してくれてるわけだからかなりのインパクトがあったんだろうし…。
「あの日は家で夜遅くまで起きててTVを観てたんだ。で、突然そのニュースが飛び込んできた。もちろん、とっても心配な気持ちになったさ。そして、オレたちの音楽でなにかしら手助けができるかもしれないってことがすぐに頭を過ったんだ。だけど、オレたちはハイチ地震(2010年1月12日発生)への大きな救済キャンペーンをやったばかりだったから、またファンのみんなに寄付金を、いろんなバンドからは音楽を提供してもらえるだろうか?って心配したんだ。オレたちはどうしたらLINKIN PARKが携われるかアイディアを出し合い、話し合ったよ。もっともっと多くのバンドに関わってほしいし、音楽でビジネスをしてる人たちみんなに関わってほしいって望んでるんだ。だけど、実際にお金を寄付してくれるのはLINKIN PARKのファンがほとんどなのが現実さ。とにかくニュースを観て深い悲しみを覚えたよ。と同時に、あの悲惨な天災の後の人々の行動、助け合いをニュースで観て、聞いて心が救われもしたよ。だから当時の気持ち的には、いろんな感情が入り交じってたね」
ーーそういった救済、手助けは、自分のような人間には限界があり、仮にできたとしても微々たるもの。そういった規模の大きいことは、アナタたちだからこそできるのであって、ひいて言えばバンドに、そしてメンバー個々に余裕があるからできるんじゃない?
「2004年12月にスマトラ島沖地震による津波災害が起きたとき、オレたちはちょうどあのエリアを廻るツアーを終えたばかりで、あたかも自分たちがまだそこにいるような気持ちでいたんだ。そして、オレたちは自分たちでなにができるかなんてちんぷんかんぷん(笑)。だけどみんなで話し合った結果、自分たちのお金を寄付しようってことになり、地震発生から24時間以内にチェック(小切手)を送ったんだ。そしたらなんと!オレたちがどの国や政府や団体よりも、誰よりも早くお金を送った、最初の団体だったんだ。それには少し驚いたね。それから、世界中で起きてる自然災害への寄付への努力を続けてるって感じなのさ。オレたちには世界中にかなり大きなファンベースがあり、それはとてもいいことなんだけど、オレたちがいつもみんなに寄付の話をしなきゃならない。やっぱり、みんなの意識を常にこういう自然災害へ向けさせ続けるって大変なことだよ。ここ7年間でも世界中で起きてる自然災害。みんな”えっ?また?!”みたいな感じになるさ。オレたち以外のバンド、たとえば日本ではB’zが彼らのファンに声をかけてオレたちLINKIN PARKと一緒に被災した子供たちへの寄付金集めに協力してくれてるんだ。100ドルのチケットを買ってもらい、B’zとオレたちのライヴを観にきてもらって、なおかつ寄付もできるって感じなんだ。最初は1,000枚を少し超えるくらいのチケット売り上げだったけど、それが60日後には500,000ドル(約6,000万円)を越える寄付金ができるくらいにまで売れたんだ。これってスッゴいことなんだよ!」
ーーそう言えば、3年ぐらい前に腰を痛めてけっこうツラいって言ってたけど、その後どう?
「正直言うと、まだ少し問題があるんだ。それが原因で一度ツアーをキャンセルしたことがあった腰さ。厄介だよ。年齢を重ねるってことの一環なんじゃない?、ハハハ(笑)。オレはただ、自分のやることで自分を痛めない方法を見つけるしかないんだと思うよ」
ーー取材時間っていつもだいたい30分なのに、今回はなぜ10分なのかな?(笑)
「取材する相手がキミならもっと喋ってもいいよ、ハハハ!(笑)」

ーーありがとう。じゃお言葉に甘えて(笑)。Music for Reliefのことでひとつだけ聞いておきたいことがあるんだ。世界各地で起きてる自然災害。たくさんあるけど自然災害ではなく、たとえば内戦が引き金になり社会情勢が悪化したアフリカのソマリアでは、難民がたくさん餓死してるじゃない。そうしたことが世界のあちこちで起きてるときに「今はこの国を助けたい!」って決めるにあたりどうやって判断するの?
「その質問はあちこちでされるよ。“なぜアナタたちは今ここを助けてるの?向こうの国は?”とかね。オレたちは赤十字に比べるとスゴく小さな団体さ。オレたちは、そのときオレたちのできる最高の質の援助をやろうとしてやってる。自然災害を超えた人的災害に見舞われ、苦しんでる人たちがアフリカなどにたくさんいることはもちろん、知ってるよ。だけど、苦心して集めたお金を使ってほしいところにちゃんと届けてくれるかもわからないところには、どうしても送れない。オレたちはそのへんをよく見てやってる。残念だけどオレたちには世界全体を救うことはできない。オレたちは、オレたちにできることが一番いい状態になるようにする努力はできる。オレたちは質を落としてまで世界中の災害に手を差し伸べたくないんだ。オレたちが歩んでる道はとても細くて、とっても難しい決断を迫られるものなんだ。オレたちがパートナーとして選んだThe United Nations(国連)やHabitat For Humanity(家を建てることで人々の希望を築く国際支援団体)、そしてSave The Children Foundation(子どもの権利の保護を目標として活動する非政府組織)は、自分たちでは届けられないところにまで自分たちの思いを持っていってくれる。それでもやはり、こっちを助けて、あっちは無理っていう決断は本当に難しいんだよね」
ーー世界中で自然災害が多発し、日に日に社会情勢も悪化していくこの地球で、アナタたちの助けを必要とする人たちは減ることはないでしょう。ということはこのMusic for Reliefの活動はずっと続けていくんだろうね。
「その答えはyesだね、続けていくよ。オレたちは自然災害が早いペースで起きてる事実を日々見てる。人がこの地球に生まれてから、地球のそれと比べたらスゴく短い時間しか経ってない。ましてや歴史として残され始めてからはもっと日が浅い。だから人間は、生き物としてこの地球の変化をほとんど経験してないも同然なんだ。それゆえにオレたちは、自然災害に情熱を注ぐのかもしれない。自然災害は時、場所、なにもかもを選ばない。オレたちは世界中を旅して世界中に家族ぐるみの付き合いをする人たちがいる。だからオレたちは地球人なんだっていう自覚が芽生えたのかもね。自然災害によって破壊された人々の暮らしが元通りになるのにはスゴく長い時間が必要とされる。その道はとても険しく、大変長い道さ。オレたちはそこにみんなの目を向けさせること、そして大きなステップをもたらすことに全力であたっていくだけさ」

こういう言い方もなんだけど、取材の狙いはズバリだった。チェスターはいつもより饒舌で、熱心に語ってた。取材の後半、バンドのツアマネの女性アシスタントが取材部屋に入ってきて、無言で「取材はもう終わりよ」をアピールしたけど、チェスターは「いや、まだ続けるから」と言わんばかりに手で制止してくれたほどだ。これには少々驚いたけど、今もなお感謝してる。そして取材終了から数時間後、バンドはステージに立った。当夜のセットリストは以下の通り。

The Requiem
The Radiance
(w/ Savio Speech)
Papercut
Lying From You
Given Up
What I’ve Done
Empty Spaces
When They Come for Me
No More Sorrow
Jornada del Muerto
Waiting for the End
Burning in the Skies
Numb
(Oppenheimer Outro w/ The Catalyst lyrics)
Breaking the Habit
Fallout
The Catalyst

Crawling
Faint
One Step Closer

〈Encore〉
Wisdom, Justice, and Love
Iridescent
New Divide
In the End
Bleed It Out

だけど、これでこのときの話は終わらなかった。2017年5月に7th『ONE MORE LIGHT』発売タイミングで、東京・下北沢のバーでリリースパーティが催された。自分もお呼ばれしたのでその場にいた。パーティの後半、イベント主催者であり、DJのひとりが突如、マイクを通してこう言われたのだ。もう何年も経ってたけど…。「幕張メッセの初日公演の開演が遅れましたけど、あれは有島さんの取材時間の終わりが遅れたからですか?」
まさに「ぇ?」だった(笑)。あの夜、開演が30分ほど押したのは事実だ。だけど、JPレコード会社の当時の担当ディレクターはなにも言ってなかった。自分の取材の後にはファンとのミーグリが予定されてたから、それが長引いたことでさらに時間を食ったんじゃないか。そう思いたい(笑)。今となってはもはや確認する術はない…。

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