【2021.04.28更新】
まさかの再結成が突然アナウンスされたMuDvAyNe。思いもよらなかったことだけに相当驚いた。それを祝して、2001年3月31日発行のGrindHouse magazine Vol.5に掲載した小誌初取材記事を再公開する。
text by Hiro Arishima
translation by Yuriko Banno
coordination by Abe Levine
(2001年2月8日に実現した)ワン・オフの初来日ギグを大盛況のうちに終えた、MUDVAYNEの初インタヴュー!!
SLIPKNOTのショーン・“#6”・クラハンを筆頭プロデューサーに迎え、尖り度、圧迫感、メロディ度満点で、起伏の激しさも一級な、オリジナリティに満ちた轟音を聴かせる『L.D. 50』が、“早耳&敏感”キッズに支持されたMUDVAYNE。1回のみのギグだったけど、観る側/演る側両方確かな手応えを得たハズ。その翌日、ガークことグレッグ・トリペット(g)を除く3人に話を聞くことができた。前の晩、みな深酒したそうでカッドことチャド・グレイ(vo)なんて終始目がうつろで、「まだ酒抜けてねーだろ!」って感じだった(笑)。
ーー昨晩、日本で初めてライヴをやってみてどうでした?
全員「(口々に)最高だったね」
スパグ(ds/マシュウ・マクドノウ)「この取材の前、ちょうどオレたちで話してたところだったんだ。いろいろ違う国でプレイしてきたけど、それぞれの反応があるってね。ヨーロッパに初めていったときも今回も、どういう反応がくるかわからず不安だったけど、結局どこにいっても、白人だろうが黒人だろうが黄色人種だろうが、MUDVAYNEのファンはMUDVAYNEのファンで同じ、変わらないことがわかった。みな同じように盛り上がり、反応もスゴくいい」
ライノウ(b/ライアン・マルティニー)「国によって反応が違うって話をいろいろ聞くけど、ファンはファン。特にオレたちのファンはどこでも変わらない。世界中どこにいっても大差はないんだ。たとえばジンバブエ(アフリカ南部の共和国)でやっても、ここやオーストラリアでやるのと同じくらい盛り上がる。どこでも一定の盛り上がりがあるんだよ。なかでも日本のファンは最高だよ」
ーー昨晩、セット中3回ほどインタールードを入れてましたよね。その意図とは?
カッド「作品と同じ感じでライヴが披露できるように、というのが最大の要因。あれってオレたちのやってることの大事な行程のひとつで、自分たちにとってスゴく意味のあることなんだ。あの部分はきちんとした理由があって、あそこに入れてる。あの部分を全部合わせると、実は『L.D. 50』になる。それをバラバラにし別タイトルをつけた。そういう意味でもセットの流れの大事な要素さ。いずれ映像も取り入れたいんだ。そうすれば、あの部分はもっと強力にできる」
ライノウ「あのおかげでライヴに流れができる。山場と谷間ができる。奥行きもね」
スパグ「オレたちは自分たちのことをロックバンドだとは考えてない。むしろ芸術的ベンチャーだと考えてる。だからライヴをやるときもただのロックバンドがやるようなものじゃなく、映画のようなものをみんなに見せたい。始まりと終わりがあり、そのなかに動きやテーマや情緒がある。インタールードはオレたちにとって、こういう映画的要素をライヴに取り入れる初歩的な手段だった」
カッド「やる場所によってはアンコールを当然のごとく期待されるって聞くけど、映画を観るとき、観終わった後にまた同じ映画のワンシーンを観直すってことはしないだろ?映画が終わればそれまでさ。オレたちのライヴも同じで、終わればそれで終わりだ。山場も谷間も作り、ライヴのなかできちんと起承転結があって終わったんだ」
ライノウ「別にファンを軽視してるわけじゃない。ただこれがオレたちのやりかたで、ずっとこうやってきた。壊れてもないものを直そうとは思わない」
ーーインディ時代に1枚『KILL, I OUGHTTA』(1997年/日本盤未発売)を残してるとは言え、絶版ですから(2001年にEpic Recordsより『THE BEGINNING OF ALL THINGS TO END』とタイトルを変え、ジャケも変え、ボートラ1曲追加収録でリイシューされた。日本盤化は見送られた)、今のあなたたちの作品といえるものは『L.D. 50』だけじゃないですか。アンコールをやらなかったのも、そういう状態ゆえに曲数がないからだと思ったんですけど、そんなレベルの話じゃなかったわけですね(笑)。
カッド「『L.D. 50』でまだ2曲ライヴでやってない曲があるから、それをプレイすることもできるけど、今のライヴは今のままで完成されてると思ってる」
ライノウ「そのやってない2曲を仮にプレイしたとしても、やはりアンコールはやらない。『L.D. 50』の曲を全部やりオレたちはステージから下りるだけ。だけどファンはまだ物足りないと思うだろう。2曲足したところで関係ないんだ。ステージから一旦下りて、また戻ってくることが当然だと思われてる」
ーーつまり、ある種いい意味でファンの期待を裏切る、と?
スパグ「そう、オレたちはみんなの期待を裏切るのが好きなんだ。人から期待されたことはやらない。オレたちが人間として、バンドとしてそうだというだけのこと。オレたちみんな世のなかの常識を覆すことが好きなんだ。今じゃアンコールって、あって当たり前のものだと思われてる。挙げ句の果てに“なんでアンコールをやらないんだろ?”だ。そんなことオレたちの知ったこっちゃない」
ーーライヴのときなどメイクをするじゃないですか。それもあなたたちのいう芸術的ベンチャーの一部なんですか?
カッド「そう。それからバンドの神話を作り上げるという部分でも“MUDVAYNEのポケット宇宙”の一環。ひとつ心に留めておいてほしいのは、メイクは自分たちの正体を証明/確認するということを狙ったわけじゃないってこと。ただ自分たちが視覚的効果を追求した流れのなかで自然に出てきたもので、同時に日常とステージ上を切り離すという意味でやってる。“よし、こういうメイクをし、マンガみたいなキャラクターになるぞ!”というんじゃ決してない。メイクをしだしたのは単に楽しいと思ったからで、それがいつの間にかステージでもやったらおもしろいんじゃないかと発展していっただけ」
ーーメイクは各々が考えるんですか?
スパグ「そう。始めた頃は互いのメイクがもっと似てた。だけどもう、何年もやってるからみなけっこうメイク上手になってきて、それぞれ違う方向に流れていったんだ。オレはいつもだいたい白黒で両極対比的な感じのメイクをするけど、カッドはいつも苦悩したロボットというのかアンドロイドっぽいメイクをする。という具合に、それぞれの趣向が出てきてる」
ーー昨日写真撮影の現場にお邪魔したときと、昨晩のライヴ時とではメイクが違いましたね?
ライノウ「毎晩メイクを変えるのは、自分たちに制限を加えたくないから。制限なく常に違う新しい形で自分たちを表現できる。毎晩同じ曲をやってるけど、自分たちが毎回新鮮な気持ちでプレイできるように、またそうすることでファンも新鮮になる。ファンには次のライヴでなにが出てくるかわからない」
ーースッゲぇ余計なお世話ですけど、あそこまでガッツリとメイクすると肌荒れしません?
カッド「オレたちのはスゴく高品質な演劇用のメイキャップ用品でね。昨晩も観たと思うけど、汗をかいてもにじまない。あまりにもいつもメイクをしてるから確かに肌の調子が悪いときもあるけど、もし品質が悪いものを使ったら間違いなく荒れまくるだろうね(笑)。幸運にもそんなにヒドい状態にはなってない」
スパグ「保湿液みたいなものは欠かせない」
ライノウ「乾燥するからね、肌が。その上毎日何回も顔を洗ってるから」
ーーあなたたちの音楽って相当ヘヴィですけど、かなりアーティスティックでもありますよね。
スパグ「そうだね。『L.D. 50』の曲を書いたとき、自分たちとしては、アーティストとして作品の内容からはなるべく距離を置き、逆にもっとアーティストとして作品を作る過程というものにこだわりたかった。芸術作品の内容よりも、それを作るまでアーティスト自身が通る過程に重点を置いた。さらにオレたちの音楽はスゴく包括的で、曲のひとつひとつもそれぞれスゴく包括的だ。それぞれの曲がMUDVAYNEを象徴し、そこから作品全体が見え、そこから個々のメンバーが見え、またそこからMUDVAYNEがなんなのかがわかる。そういう具合にすべてが折り重なってるんだ」
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