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【2020.09.29更新】

MY CHEMICAL ROMANCE’s cover issues

文:有島博志

マイケミ…2000年代の自分にとって、またGrindHouseにとって大変重要な存在であり、ありがたいことにメディアとしてとても近しい関係を築くことができたバンドでもある。そうした関係値に至るにあたり、自分はなにひとつ特別なことなんてしちゃいない。ひとえにメンバー個々の人間味あふれる優しい人柄に尽きると断言できる。
マイケミにとってのデビュー作『I BROUGHT YOU MY BULLETS, YOU BROUGHT ME YOUR LOVE 』(2002年)の日本盤化はUS発売から7年も経ってからのことだったので、バンドに正面から向き合えたのは2nd『THREE CHEERS FOR SWEET REVENGE』(2004年)からだった。

2004年8月にバンドは初来日した。このときジェラルド
・ウェイ(vo)に初めて会い、GrindHouse magazine用の取材をし、FMラジオ番組GrindHouse fmにもゲスト出演してもらった。ジェラの第一印象はすこぶるよく、相手に気配りができる人だな、と思った。

ジェラの初めて会ったときの好感度や、『THREE CHEERS FOR SWEET REVENGE』日本盤発売からまだ2ヵ月も経ってない時期の初来日だったにもかかわらず大観衆から歓待されてたことなどもあり、次作で3rdの『THE BLACK PARADE』(2006年)でGrindHouse magazine初表紙登場は自然な流れであり、また必然でもあったように思う。有島によるジェラ、そしてフランク・アイエロ(g)の電話インタヴュー記事を掲載した。

GrindHouse magazine Vol.39
2000年11月29日発行

『THE BLACK PARADE』はロックオペラ仕立てのすばらしい作品だ。大好きだ。自分のなかでは“マイケミと言えば『THE BLACK PARADE』”なる図式もあるほどだ。この作品は日本でもけっこう速いペースで売れ、短期間で輸入盤と日本盤を併せて10万枚の好セールスをマークしゴールドディスクに輝いた。その流れの過程において2007年5月に5度目の来日公演が実現。バンドは初めて“檜舞台”こと日本武道館のステージに立つ。
実はこの日自分は、開演前の時間帯に会場裏の数多ある部屋のひとつにいた。ジェラへの取材は前日終えてたのでフランク、レイ・トロ(g)にsay hi!するためだ。マイキー・ウェイ(b)はこの時期バンドを離れており、パーマネントドラマーも不在でピート・パラダ(元FACE TO FACEほか)が同行してた。よってマイキーのサポートメンバーや、ピートはその場には姿を現さなかった。取材や、ファンとのミーグリもあったので部屋のなかは賑やかだった。そんなときJPレコード会社の担当者よりこう耳打ちされた。
「ジェラルドが今日予定してた取材をすべてドタキャンしました。理由はわかりません…」。
当然「ん?ん?ん?なんで?」となり、しばし物思いにふけってると、フランクがこう切り込んできた。
「ねえねえ、BALZACって知ってるよね?今回バンドに会いたいんだけど、どうすればいい?」と。
BALZACとは大阪をベースに活動するホラーがかったパンクロックバンドのこと。意外だった。「なんで彼らのこと知ってるの?」と聞こうにもフランクの話の勢いは止まらない(笑)。バンドのどこが好きかとか、作品名を挙げてはこの曲とあの曲が好きとか、高いテンションで話しまくる姿は、まるで子供のようだった(笑)。「こりゃホントに好きなんだな」となり、その旨をJPレコード会社の担当者に伝えた。ジェラの取材ドタキャンで担当者と宣伝担当は対応に追われバタつき、緊張感も高かったけど、フランクと自分の周りだけは明らかに周囲とは違う空気を放ってたと思う(笑)。翌日、BALZACのマネージャーに電話でフランクの件を伝えた。で、フランクとBALZACのリーダー、HIROSUKE(vo)は無事大阪で会え、有意義な時間を過ごしたらしい、と後日聞いた。究極の余談なのだけど、なぜか今もこのことをよく覚えてる。
そして、4th『DANGER DAYS: THE TRUE LIVES OF THE FABULOUS KILLJOYS』が2010年11月に発売された。

GrindHouse magazine Vol.63
2010年11月29日発行

このときはロサンゼルスの現地取材だった。バーバンクにあるWarner Bros. Records本社のアーティストルームでジェラ、フランク、レイ、マイキーの4人に話を聞いた。『THE BLACK PARADE』ツアーでバンドはかなり疲弊し、全メンバーが精神的にも肉体的にも相当参ってると聞いてたので心配してたのだけど、明るく、元気な4人の姿を見れて、話も聞けてひと安心したものだ。この号にはそのインタヴュー記事と、ロンドン公演のライヴリポ、そしてディスコグラフィを掲載した。このときの取材終了後、バンドがブレイクを入れるというので、ジェラと“ぷくいち”しに一緒に建物の外に出た。最初は他愛もない話をしてたのだけど、だんだん話の内容はシリアスな方向になり、『THE BLACK PARADE』ツアーがバンドにとっていかに過酷なものだったかに。「小さな壁が目の前にたくさんあって、ひとつひとつ乗り越えても、今度はより大きな壁が目の前にたくさんできてるような感覚。前に進みたくてもなかなか進めない。その繰り返しで、まさに堂々巡りだったよ。これが一番キツかったね」とジェラは笑いながら言ってた。
2011年1月、バンドは6度目の再来日公演を行い、東名阪を巡演した。横浜アリーナ2公演のうちの初日を観にいった。開演前には武道館のときと同じく取材とミーグリが予定されてた。自分の取材予定こそなかったものの、またもやジェラはすべての予定をドタキャンした…それから2年後に“マイケミ解散”が報じられ、世界中を駆け巡った。自分はあまりにも早い時期での解散報道で受け入れるのに時間がかかった…。
衝撃の解散アナウンスから約1年、マイケミのキャリアを総括するコンピ『MAY DEATH NEVER STOP YOU:THE GREATEST HITS 2001ー2013』(2014年)が発売された。そのタイミングで3度目の表紙もやった。

GrindHouse magazine Vol.83
2014年3月30日発行

このコンピは通常盤CDとDVD付の特別盤の2形態で発売された。特別盤には特典として黒の腕章がついてる。この作品の日本盤化にあたり、「黒の腕章つきはmustである!」との強いお達しが本国よりあった、という。黒の腕章、イコール喪章、死を悼むを意味し、バンドは解散したと強調した形だ。
バンドはすでに解散してたので当然、取材を受けるなどのメンバーの稼働などあろうはずもなかった。それでも3度目の表紙をやったのはそれまでのバンドの流れに自分的に一旦“区切り”をつけ、バンドに対する思いのたけをしっかり書きたかったからにほかならない。
バンド解散後、元メンバーは各々別々の道を歩み出す。
もっとも早くアクションを起こしたのは、ジェラだった。初ソロ作『HESITANT ALIEN』(2014年)を出し、2015年2月にはソロとして初来日、東阪2公演を行った。東京公演開演前にはジェラに取材した。

取材中に「マイケミ復活の可能性は?」と聞いてみたところジェラはこう答えた。
「このソロ活動もそうだけど、ボクにはほかにもやりたいことがたくさんあるからね」
下記画像は以前Twitterで公開したものだ。取材直後のジェラと、来日に同行しアンコールに飛び入り参加した弟マイキーだ。

Photo by Hiro Arishima
Photo by Hiro Arishima

ご存じの通り、それから4年後の昨秋、マイケミは再結成をアナウンス。一度はDownload Japan 2020などへの参戦での再来日が決まったものの、新型コロナウィルス禍により延期となってしまった…さて、今後どうなるんだろうか。

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