GrindHouse magazine back number gallery

【2020.08.17更新】

BLINK-182’s cover issues

GrindHouse magazine Vol.03
2000年11月30日発行

文・有島博志

バンドキャリア初のライヴ盤『THE MARK, TOM AND TRAVIS SHOW(THE ENEMA STRIKES BACK!』(2000年)発売に合わせ、初表紙登場を決めた号だ。ライヴ盤で表紙というのはあまり例がないのだけど、前の作品で3rdの『ENEMA OF THE STATE』(1999年)でバンドは本国アメリカではけっこうキてたんで、日本でいち早くそれまで以上に多くのポップパンクファンにバンドを知ってほしいという想いでやることにした。

対面取材、写真撮影をいつ実施するかを、JPレコード会社を介してやり取りしてる際、バンドはオフをとってる時期にあり、かつメンバー3人のうちトム・デロング(vo, g)がアメリカ国内に不在であることがわかり、「困ったなあ」と。実施時期をズラすことも一瞬考えたけど、制作行程の締め切り的に厳しい。で、当時の編集長に相談したところ「変則的な形にはなるでしょうけどやりましょう」とのこと。
よく間違えられてたのだけど、当時からしばらくの間、編集長は別にいた。自分のGrindHouse magazineの関わり方は編集アドバイザーだった。
で、マーク・ホッパス(vo,b)、トラヴィス・バーカー(ds)を個別対面取材し、トムは違う機会に電話取材を実施。写真撮影はマークとトラヴィスの個人ショットを撮り、トムの個人ショットと、グループショットはオフィシャル写真を使わせてもらうことになった。
で、実施日は2000年10月18日。カメラマンの日系3世のマイク・ハシモトの運転で、指定場所のカリフォルニア州サンディエゴに向かった。ハリウッドからサンディエゴまでは片道約3時間以上かかる。もう少しいけば、メキシコとの国境だ。長旅だ。で、いざ向かうと、その途中で衝撃的な一報を、車内で聴いてたラジオ局KROQ(ケーロックの通称で親しまれてる)が伝えた。
RAGE AGAINST THE MACHINE(RATM)からのザック・デ・ラ・ロチャ(vo)の脱退だ。凍った。しばらく茫然自失で、言葉を失い、なにも発することができなかった。ザックの脱退は、すなわちRATM解散を意味した。
そんな状態のまま、車はサンディエゴに入り、集合場所だったマークの自宅に着いた。歓待してくれた。小高い丘の中腹を切り開いたようなところにたくさんの新築の家が並んでて、そのうちの一軒だった。トラヴィスん家もそこから数軒先にあったのだけど、まだ未完成で、絶賛建築中だった。まずは写真撮影から始めた。マーク、そしてトラヴィスの順番。

Photo by Mike Hashimoto
Photo by Mike Hashimoto

続いて、トラヴィスのタトゥーの撮影に。

Photo by Mike Hashimoto

傑作映画『TAXI DRIVER』に出たときにモヒカン刈にした、うら若き頃のロバート・デ・ニーロにあまりにもよく似てて驚いた(笑)。ここの一連のタトゥー写真は今回初公開だ。

Photo by Mike Hashimoto
Photo by Mike Hashimoto
Photo by Mike Hashimoto
Photo by Mike Hashimoto

で、取材を始めた。トラヴィスを編集長が(後日実施したトムの電話取材も担当)、私、有島博志はマークに話を聞いた。取材終了後、部屋に通されたときから気になってた、壁にかけられてるゴールドディスク、プラチナディスクの数々の写真も撮らせてもらった。まさに成功者の証、勲章だ。

Photo by Mike Hashimoto
Photo by Mike Hashimoto
Photo by Mike Hashimoto

帰国後、トムの電話取材も終了。こうして冒頭のGrindHouse magazine Vol.03は予定通り発行することができた。

GrindHouse magazine Vol.21
2003年11月30日発行

5th『BLINK-182』(2003年)発売タイミングでの、2度目の表紙登場号。当時の編集長によるトムとトラヴィスのインタヴュー記事を掲載した。

もう時効だろうからいいだろう、初めてこの話を書く。7th『CALIFORNIA』(2015年)が発売される前に、本国より「CDの日本盤を出さないか」という売り込みがあった。このメールを読んだとき思わず目を疑ったけど、送信主の彼とは以前SYSTEM OF A DOWNの取材などで世話になった経緯もあり、丸1日考えた結果、「どこまでできるかわからないけど、可能な限りベストをつくそう」と腹を決めた。弊社にはGrindHouse recordingsなるちっちゃなレーベルがある。これまでにFUNERAL FOR A FRIEND(R.I.P.)、THE DILLINGER ESCAPE PLAN(R.I.P.)、HELMETなどの日本盤CDを発売してきた。
BLINK-182はビッグだし、ハードルも高い。当然弊社だけでなく、他社にも売り込みはいってる。資金調達(前金)のためマジで東西を奔走しつつなんとか調達でき、交渉に臨んだ。しかし、形にはならなかった。バンドサイドはCD流通圏が日本を含むアジア圏全体を希望し、音源配信に関しても同様だった。「こりゃもう、自分の手には負えない」とエントリーを取り下げた。その作品は結局、メジャーレーベルが日本盤をリリースした。短期間だったけど、いい夢を見させてもらったと思う(笑)。今なお、いい思い出だ。

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