GrindHouse magazine back number gallery

LINKIN PARK’s cover issues
文・有島博志

GrindHouse magazine Vol.09
2001年11月30日発行

初表紙登場号。2001年10月23日にUSニューヨーク州オルバニーで取材、写真撮影を行った。対米同時多発テロ発生から約1ヵ月後の時期だっただけに洋楽業界には海外出張禁止令が発出されてた。よって海外に出ること、そして現地で取材などをすることがいかに大変で厄介だったかをよく覚えてる。写真撮影は、バンドが投宿してたホテル近くの公園などでやった。取材したのはマイク・シノダとジョー・ハーン。

photo by Kentaro Kambe
photo by Kentaro Kambe

マイクが丸刈りになってたのには驚いた(笑)。「なんで丸刈りにしたの?」と聞いたら「髪型を変えたり、色を入れたりすると、すぐにファンにマネするヤツらがいっぱい出てくる。みんな、自分らしくあるべきさ。さすがに丸刈りはマネできないだろ。“やれるもんならやってみな!”っていう無言のメッセージさ(笑)」と。ご存知の通り、ジョーは韓国系アメリカ人だ。コリアンコミュニティではなく、完全にアメリカンコミュニティで生まれ育ったことがこのときの取材で知った。そして、2人とも若い、とにかく若い(笑)。それぞれ24歳だ。
ニューヨーク州オルバニーまで赴いたのは、このときLINKIN PARKはFamily Values Tourに参戦し、各地を巡演してたからだ。ただ、テロ発生直後だったことゆえUS政府が「人が大勢集うところには極力いかないように」との自粛要請を出してたためSTONE TEMPLE PILOTS、LINKIN PARK、STAIND、STATIC-X、DEADSYという実に魅力的な出演陣だったにもかかわらず、会場のペプシアリーナの観客動員は驚くほどに寂しかった。マイク、ジョーの取材記事の後にこのライヴリポートも併載した。

GrindHouse magazine Vol.17
2003年3月31日発行

photo by Mayumi Nashida(front cover only)

2度目の表紙登場号。2nd『METEORA』(2003年)発売タイミングでのもの。ライヴ写真を表紙に持ってきたのはGrindHouse magazine史上初であり、今のところの最後。当時の公式アー写が弊社的にイマイチだったため、ライヴ写真使用を決めた、といういきさつがあった。
取材は当時もっともヒップなホテルと話題になってたロサンゼルスのダウンタウンにあるザ・スタンダード・ダウンタウンで行われた(このホテルはハリウッドにもある)。取材前には『METEORA』の音源試聴があった。取材者全員が試聴前に、まるで空港のセキュリティチェックのごとくの金属探知機によるチェックを受け、携帯電話は試聴終了まで預けなければならなかった。マネージメント、レコード会社による音源管理が厳しくなり始めた頃だ。
取材相手はマイク・シノダ&デイヴ・“フェニックス”・ファレル組と、チェスター・ベニントン&ロブ・ボードン組に分かれ、取材時間はそれぞれ30分だったと記憶する。その取材記事2本に、ディスコグラフィを掲載した。
余談だけど、取材日にダウンタウンの、ホテル周辺の一画がブロックされ映画の撮影が行われてた。取材中、部屋の窓から至近距離でヘリコプターが飛ぶのが何度か見られたし、時折火柱もあがったりで、みんなで盛り上がったものだ(笑)。その後知ったのだけど、その映画は『S.W.A.T.』(2003年/サミュエル・L・ジャクソン主演)だった。
さらなる余談だけど、取材の機会こそなかったけど、ジョーも現場にきてた。で、会うや否やいきなり連れてた(当時の)ガールフレンドを紹介された。小柄でふくよかなアジア系の女性だった(笑)。

GrindHouse magazine Vol.42
2007年5月31日発行

photo by Micah Smith(FUSE MEDIA)

3度目の表紙登場号。3rd『MINUTES TO MIDNIGHT』(2007年)発売タイミングでのもの。取材場所は、よく“バンドホテル”と呼ばれるハリウッドの中級ホテル。これまでにBAD RELIGION、STAIND、PRONGなどを取材したことがあり、KISSのジーン・シモンズがフツーにプールサイドで食事をしてるところを何度か見かけたこともある(笑)。
まずはホテルのわりと大きめな部屋で『MINUTES TO MIDNIGHT』を試聴した。『METEORA』のときと同じく金属探知機によるセキュリティチェックがあり(笑)、いざ試聴となった際、現地のレコード会社のスタッフより「新作はいまなお制作中のため全曲は聴いてもらえない」との説明があり、確か6、7曲聴いたように思う(実際は12曲入り。ボートラ除く)。そして一度ホテルを出て、隣接するバンガローが立ち並ぶ広い横庭に移動。そのうちのひとつの棟で取材した。このときの組み合わせはマイク&ジョー組と、チェスター&ロブ組で、取材時間はそれぞれ20、30分程度だったと記憶する。この2本の取材記事と、ディスコグラフィを掲載した。
取材した日は偶然、フェニックスの誕生日だった(2月8日)。一通り取材を終えた小ブレイクのとき、みんなでブルーベリーパイを食しつつつつましくお祝いしてた(笑)。

GrindHouse magazine Vol.55
2009年7月31日発行

この号は通常のアプローチと違い、新作を出すから表紙に、というのではなかった。
バンドが映画『トランスフォーマー/リベンジ』に新曲“New Divide”を主題歌として提供、さらにはサマソニ2009参戦での再来日も決定。そして、チェスターの別バンド、DEAD BY SUNRISEが『OUT OF ASHES』を発売、といくつもことが重なったので表紙と、やや変則的なアプローチだった。このときは現地取材ではなく、電話取材だった。LINKIN PARKの話はマイクに、DEAD BY SUNRISEの話はチェスターに聞いた。

GrindHouse magazine Vol.62
2010年9月30日発行

5度目の表紙登場号。人によっては衝撃の“問題作”となり、明らかな“ファン離れ現象”も起きた衝撃の4th『A  THOUSAND SUNS』(2010年)発売タイミングでのもの。取材場所は『MINUTES TO MIDNIGHT』のときと同じハリウッドの“バンドホテル”で、取材はチェスター&フェニックス組、マイク&ロブ組で、その2本の取材記事を掲載した。
今号制作中に表紙や中面に使用した、そのときの公式アー写のグループ&個人ショットが届き、社内で話題になった。「なぜゆえにチェスターはターバン?」と。しばしその話題で持ちきりだった(笑)。

GrindHouse magazine Vol.72
2012年5月31日発行

6度目の表紙登場号であり、GrindHouse magazine商業誌時代最後のLINKIN PARK表紙号だ。5th『LIVING THINGS』(2012年)発売タイミングでのもの。
ここまでを読んでもらえばわかる通り、新しい作品が発売されるときに取材をする際のフォーマットが完全にでき上がってた。取材場所はハリウッド。取材前に新音源試聴があり、その後2組/2本の取材を行う、というふうに。このときはチェスター&ロブ組、マイク&フェニックス組への取材で、この号にはその2本の取材記事を掲載した。
マイク&フェニックス組の取材が終わった後、珍しくマイク&フェニックス組の次の取材までに空き時間があったので自然と雑談タイムに。前の晩にTVで観たフットボールの試合の話とか、好きなアイスクリームの話とか、のホントに他愛もない会話ばかり(笑)。マイクの好きなアイスクリームはベン&ジェリーズだそう。

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