有島博志が語る【2022.04.21更新】

DEFTONESのチ・チェンが9回目の命日を迎えた

生前、チには何度も会ってる。いろいろな経験をさせてもらい、そのすべてがいい思い出として記憶にしっかり残ってる。

今もなお後悔先に立たず、の想いが消えないのだけど、実は『adrenaline』(1995年)でメジャーデビューする3ヵ月前に、DEFTONESのライヴを観逃してる。7月4日のアメリカの独立記念日を挟んで約1週間程度ロサンゼルスに滞在してたときのこと。その独立記念日の夜、ウェストハリウッドのサンセットストリップにある老舗名門クラブ、Whisky a Go GoでBAD BRAINSのライヴがあった。当時メジャーレーベル、Capitol Recordsのインターナショナル部門にいたパンクロック大好きなアメリカ人の友達と観にいった。BAD BRAINSの前にサポートとして3、4バンド出てたのだけど、そのうちのひとつがDEFTONESだったのだ。
普通、欧米でライヴにいく際、お目当てのバンド以外にどういうバンドが出るのかを必ず事前にチェックする。そして、知ってるとか、名前を聞いたことがあるなあ、とかのバンドが出演バンド群に1組でもいる場合はそのバンドの出演時間が早かろうが、お目当てのバンドの出演時間との間にかなり時間が空いてようが観にいくのだけど、当時DEFTONESの名すら知らなかったため完全にスルーしてた。後日、BAD BRAINSの夜にDEFTONESも出てたことを知った。けっこう凹んだことは言うまでもないだろう(涙)。このへんのストーリーは、『adrenaline』の日本盤ライナーノーツに詳しく書いてる。
DEFTONESに初めて会い、ライヴも観たのは、2ndアルバム『around the fur』発売直前の1997年秋口のことだった。しかも本国アメリカでじゃなく、イギリス北西部マンチェスターで。『adrenaline』でガツンっ!と衝撃を喰らい、欧米での注目度、期待度もジワリジワリ高まってたし、一度ライヴを観逃したということもあり、「すぐにでも観たい!」となり、マンチェスターまで足を伸ばしたというわけだ。会場はマンチェスター大学の講堂だった。
サウンドチェック後に講堂控え室で対面取材をし、その後しばらくしてライヴを観た。講堂入口の両扉ドアを開けた途端、人でギュウ詰めになってる様子が目の前に。そこをなんとか分け押し入って観戦したのだけど、パフォーマンスは凄まじいの一言につき、完全にトバされた。まさに「このバンドは絶対にクるっ!!」を確信した瞬間だった。
DEFTONESが初来日したのは1998年9月。『around the fur』発売からジャスト1年後のことだった。東阪を巡演し、計3公演が行われた。O-EAST(現Spotify O-EAST)東京公演初日を観た。終演後、楽屋でメンバーと立ち話をしてるとき、チが「仏教に触れられるところって近くにあるかな?」と聞いてきた。思いも寄らぬことを突然切り出され、即答できなかった。「まあ、なんとかなんだろ」と思い、翌日の午前中にバンドの投宿先のホテルに迎えにいく、という約束をした。帰社後、さあ、どうしよ、と。なんたって時代が時代だ、今ほどネットは普及、進化しておらず、また友達や知人に仏教に詳しい人間なんて思い当たらなかった。で、また「まあ、なんとかなんだろ」と、浅草の浅草寺にいくことに。
翌日の午前中、約束の時間よりやや早めにホテルのロビーにいくと、もうチはその場にいた。「ここからちょっと距離あるけど、タクシーでいく? それとも地下鉄を使う?」と聞くと、チは「少しでも日本を見たいんで地下鉄でいきたいな」と。で、浅草へ。
時間がまだ10時前だったことから仲見世通りに軒を連ねるお土産屋のほとんどが開店前で、浅草寺へまっしぐら。境内にいくつものお堂や神社があるのだけど、チはそのひとつひとつをまわっては写真を撮り、英文の説明書きを読んではメモってた。その真摯さ、一生懸命さに感心してると、チは「大学時代に改宗して以来、仏教徒なんだ。腕に入れてるタトゥーも仏教のシンボルだし」と袖をまくって見せてくれた。残念ながらカメラを持ってなかったので、タトゥーの写真を撮ることはできなかった。午後からJPレコード会社のオフィスで取材を受けることになってるとのことだったので、ホンの数時間浅草寺周辺にいただけで投宿先のホテルへチを送り届けた。帰路の途中、チが厳格なベジタリアンであることも教えてくれた。
余談だけど、初来日のときに『adrenaline』のジャケにサインを入れてもらった。亡くなったメンバーのサインは原則、非公開としてるのだけど、今回は特別に。左上のがチのだ。

続くは、USレコード会社がプロモ用として製作した『around the fur』のウィンドウステッカー。後にSLIPKNOTもプロモ用に同様のウィンドウステッカーをUSレコード会社が数種類製作してる。

3rdアルバム『WHITE PONY』(2000年)発売直前期に、バンドのホームタウン、US西海岸カリフォルニア州サクラメントに飛び、対面取材をした。その際、いきなりチから「日本にいったときに浅草に連れてってくれたお礼が、まだできてなかったから」と白い紙包みを手渡された。ビックリして、思わずまるで子供のように「今、開けていい?」と(笑)。チは笑ってたけど、開けてみたらズッシリ重い仏像だった。実にチらしいプレゼントだ。縦14cm×横14cmで、いただいて以来ずっと、仕事机の上に飾ってる。めちゃくちゃ嬉しかった。

『WHITE PONY』USツアーも当然、追っかけた。INCUBUSと一緒ので、下記のがそのライヴ写真の1枚だ。

photo by Micah Smith/FUSEMEDIA

今回、DEFTONES及びチに関するものを探すと、たくさん写真が出てきた。けっこう未公開のがあるので、近々今回とは切り口を変えて、さらなるチの思い出とともに公開したい。

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