GrindHouseとしても、また個人としても初対面取材記事復刻!

取材・文/有島博志

2000年夏、フジロック参戦でRAMMSTEINは初来日した。
デビュー作『HERZELEID』(1995年)の日本盤化は見送られ、2枚目『渇望/SEHNSUCHT』(1997年)発売から3年近く経った頃だった。
厳しい消防法の規制/制約によりアトラクションのほとんどを繰り出すことができなかったという“大きなハンデ”を背負ったなかでのライヴだったけど、パフォーマンスはすばらしかった。
その翌日、都内の某ホテルの一室で対面取材が実現した。
ティル・リンデマン(vo)、リヒャルト・Z・クルスペ(g)、クリスチャン・“フラケ”・ロレンツ(key, samples)に話を聞いた。
ティルは普段取材を受けないことで知られるけど、初めての日本ということで参加してくれた。
ドイツ語の通訳さん同席で話は進んだ。

 ――初来日してみてどうですか?

ティル「あまりにもファンからのリアクションがよかったんでビックリしてるよ」

リヒャルト「うん、自分たちがやってるような音楽に対し、日本にはある種の偏見みたいなものがあるって聞いてたことがむしろ意外なくらい。ファンの反応もよかったんで、自分たちも本当に驚いてる」

フラケ「オールドスクールなヘヴィメタルが日本でどう受け止められてるかなんていう話は事前に聞いてたけど、自分たちがどう受け入れてもらえるかは全然想像もつかなかったし、オレたちの前に出たCHTHONIC(台湾産のメタルバンド)のときなどはほとんどお客さんがいなかったし、反応もよくなかったから、きっとオレたちのときも50人ぐらいしかお客さんが集まらないんじゃないかって思ってた。だけど実際フタを開けてみたらスゴい人数の人たちがきてくれたし、ウケもよかったんで嬉しいよ」

――リヒャルトの言う“ある種の偏見”というものがメタルファンにではなく、ほかのところにあるということがわかってもらえたでしょう。

リヒャルト「そうだね。過去に何度か日本にいく話はあったけど、いろいろな障害や問題があって実現しなかった。オレたちにしてみれば、まったく日本のことを知らないわけだから、聞いてた“ある種の偏見”というものが問題、障害のひとつになってると思ってた。で、今回がファーストチャンスでラストチャンスだろうってことでやっとこれたんだけど、“ある種の偏見”と聞いてたものがそれほど大きいものじゃないと思えてよかったよ。レコード会社が乗り気じゃないとか、メディアがオレたちのことをあまり好きじゃないとか聞かされてきたからね(笑)。そういう意味では日本に対する見方が180度変わったけど、だけどまだまだ努力し続けなければこの先難しいんじゃないかな、という気持ちがオレたちのなかにはあるね」

――乗り気じゃないとか、好きじゃないとかじゃなく、メディアもレコード会社もアナタたちをどう受け入れ、どう紹介していいかを単に探しあぐねてただけだと思います(笑)。

ティル「たとえば国際的な商品を国内に持ち込むにはある意味リスクが伴うものだから、決断が難しかったのはよくわかる。しかもオレたちは英語で歌ってないし、音楽だって極めて独自性の強いものだから、それだけで慎重になるのも理解できる。最終的には結果がすべてだから、イイ結果が出ればそれだけ可能性も広がる。昨日、日本のみんながオレたちの音楽を聴いてくれるし、受け止めてくれることもわかったから、今後状況はイイ方向にいくんじゃないかな」

――歌詞が英語じゃないっていうことですけど、それはあまり関係ないと思うんですね。聴く人にとってその音楽がカッコよければ何語で歌われてようがイイものはイイっていう…。

リヒャルト「その方がありがたいけど(笑)。音楽やコンセプトがウケもイイってことだよね。ようはオレたちはアメリカでもドイツ語を喋り、ドイツ語で歌ってるにもかかわらず、きちんと受け入れてもらえた。それは自分たちのやってる音楽がアメリカ人にとってカッコよく響いたことのなによりの証拠だと思う」

――昨日のライヴ終了後、ファンの間から「予想してた以上によかった」という声が多数漏れ聞こえてきましたしね。

フラケ「そういう成果は嬉しいの一言につきるね。オレたちの音楽がもっと日本で広まってほしいって前向きに考えられるよね」

――あと、ティルのヴォーカルがユニークなスタイルで、かつドイツ語で歌われてるということもあり、アメリカ人の多くや我々のようなドイツ語に馴染みのない人たちにとっては“歌”というより“ひとつのインストゥルメント”と受け、捉えてるかもしれませんね。

ティル「それは嬉しい意見だね。(日本語で)アリガト(笑)」

――“ひとつのインストゥルメント”とも捉えられるから、余計アナタたちの独自性の強い音楽にも違和感なく溶け込めるんでしょう。

リヒャルト「アメリカでの受け入れられ方って、まさにそれだったんだ。言葉の解釈とかは抜きにして肌で、そして体で感じてもらえたんだ。それで、オレたちが伝えたいと思うことがちゃんと伝わったんだよね」

――加えて、昔っからドイツ人と日本人のメンタリティって近いって言われるじゃないですか。

リヒャルト「確かにイイ歴史もそうじゃない歴史もあったよね」

フラケ「たぶん自分たちと、日本人って同じような感覚を持ってるんじゃないかな。だからこの国にくることさえできれば、絶対にチャンスはあるってずっと思ってた。逆に、日本にくるのにどうしてこんなに苦労し、時間がかかったのか理解できないくらいだよ」

――消防法という厳しい規則が原因で、今回アナタたちならではのライヴが完全にはできなかったわけじゃないですか。当然、納得がいかないですよね。

リヒャルト「ライヴのすべてを見せることができなくて、また火を使うことにも制約があったんで一部しか披露できなかったのが、とにかく残念でならない。もしフルスケールでやれたなら、もっともっといろんなアトラクションを見せられたんだけど」

フラケ「いろんなことを我慢しなきゃならなかったけど、さっきリヒャルトが言った通り、これがファーストチャンスでありラストチャンスでもあると割り切ってやったんだ。だけどライヴをやり終えた今、それでよかったと思ってる。やりたいことはほとんどできなかったけど、ライヴができたことで大きな見通しが立てられるようになったから」

ティル「オレは歌ってるだろ。この曲でこのアトラクションを繰り出すとこういう効果が生まれるというのを知ってるだけに、正直言うと不満は残った。だけどもっとも大事なことは観た人に気に入ってもらうことだし、音楽を聴いてもらうことだからね」

――厳しい制約があるなかで、それでもアトラクションはありました。ティルに火が灯されたり、フラケがティルに襲いかかったりとか。そういうのを観ると、アトラクションには“S性”と“M性”が同居してるように思えたんですけど…。

ティル「そういうのって、特にオレたちは意識したことも考えたこともないな。明確な目的や意図があってやってるわけじゃないから。ライヴをやっていくなかで、だんだんそうなっていっただけ。歌詞の解釈を助けるためというか、具体的なイメージとして表現するにはどういうことをやったらいいかを考えながらいろいろとやりつつ、でき上がったものなんだ」

――防火服を着たとしても火をつけられれば、ものスゴく熱いでしょう。なにがアナタにそこまでさせるんでしょうか。

ティル「たぶんその動機って、ほかの人がやらないっていうことにあると思う。音楽もそうだし、アトラクションもそう。ほかの人がマネできないようなことをやる。ただそれだけさ」

――来年(2001年)2月頃までには新作を出すそうですけど、もうタイトルとか決まってるんですか?

リヒャルト「タイトルは『MUTTER』さ(ドイツ語で母という意味)。一応レコーディングの方はすべて終えてて、あとはミックス、マスタリングを残すのみなんだ」

――どんな感じのサウンドなんでしょうか。デビュー作『HERZELEID』(1995年/日本盤未発売)や2枚目『渇望/SEHNSUCHT』(1997年)のそれらに近いですか。

リヒャルト「たぶん音楽的方向性としては前2作とはほとんど変わらないけど、その2作から年数が経ってるだけにオレたちも成長してるし、成熟もしてきてるから、自分たちの経験をこれまで以上に織り込めたと思う。サウンド面では『渇望』よりハードでヘヴィになってるから」

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