INTERVIEWS

【2021.06.21】

Interview&Text by Hiro Arishima
Translation by きゃっくす

元ZEBRAHEADのジャスティン・マウリエロ、I HATE KATEで動く!

ジャスティンがZEBRAHEADを離れてから、早くも17年の年月が流れた。その間、彼はI HATE KATE、DARLING THIEVESをやり、並行してソロ名義で音源も出した。そして今年はより精力的で、早くも新曲2曲を公開した。もの凄く久しぶりにジャスティンに話を聞いた。

ーー今回こうして話を聞くことができて嬉しいよ。話を聞くのはI HATE KATE(IHK)で来日して以来のことだから、もう14年になるんだ。月日が流れるのって、ホント早いよね。この間どうしてた?なにしろ長い月日のことなんで、簡単に説明できないだろうけど(笑)。
「もう14年前のことって信じられる?考えてみると、5年か6年前のことのように思えるよ。細かいことまでを思い返すことは容易じゃないけど、ボクは信じられないくらいいい状態で毎日を送ってたよ。その間に、ボク自身の人生のストーリーにいくつものチャプターがあった。テネシー州ナッシュビルと、テキサス州オースティンに住んでたんだ。ナッシュビルではすばらしい経験ができたよ。ほぼ4年間そこで暮らしてほかのアーティストと、ライターたちと曲作りをしてたんだ。多くのことを学んだね。町中が音楽を食して息をしてて。それまでに見たことがないような感じだった。すばらしいミュージシャンの歌と、アコースティカルな音楽がそこらじゅうにあふれてるんだ。間違いなく見るべき、体験すべき場所だよ。オースティンではもっぱら、自分自身の音楽を作ってた。驚くべき才能のある他のアーティスト同様に。14年前に日本にいった後、禁酒をするなど、ライフスタイルも大きく変えたんだ。自慢にもならないけど、ボクはかつてセミプロ級のドリンカーだったからね」
ーー日本はジャスティンを、そしてZEBRAHEADを初めて認め、歓待した最初のアメリカ以外の国だったじゃない。ZEBRAHEAD時代、何回も来日しただけに思い出も多いでしょう。
「そう、日本は常にボクの心にある場所で、誰にもその事実を消すことはできないだろうね。日本にいくたびに会う人たちがみんな、礼儀正しくて、プロフェッショナルであることにいつも感銘を受けてたよ。初めて日本にいった際、ホテルに着いたときたくさんの荷物を持ってたんだ。そのときが自分たちにとって初めての海外ツアーだったから、荷物の量をどのくらいにしたらいいのかまったく見当もつかなくてさ。で、ホテルにチェックインする前に無性に腹が減ったんで、その大量の荷物をロビーに置いたままの状態で食事をしにいっちゃったんだ。で、戻ってくると、その大量の荷物の山に白いネットがかけられて、置いたままの状態にしてあった。もちろん、失くなったものはなにひとつなかったよ。これがもしアメリカだったら絶対ホテルから大クレームだったろうし、荷物もひとつやふたつ失くなってただろうね。これは衝撃的だったよ。それなどは日本の思い出のひとつにすぎないけど、とにかく日本はバンドに、またバンドの家族や友だちにとって、いつもハイライトな場所だった。日本文化を見るのも好きだし、食事やビールも大好き。正直言うと、ボクにとって最高の経験はいつも日本でのショウと、ファンのみんなだった。それまでにボクが経験したことがないようなことをたくさん経験させてくれたからね。ショウの後に、ファンがギフトをたくさんくれたこともめちゃくちゃ嬉しかったよ。それ以来、日本人や日本文化のおもてなし精神に、尊敬と感謝の気持ちを抱いてるんだ」
ーーIHKで『EMBRACE THE CURSE』(2007年)をリリースし、来日して以降、バンド名をDARLING THIEVES(DT)に改めて作品を出したり、ソロ名義で音源を出したりして、最近またバンド名をIHKに戻してるけど、このへんの背景は?
「ソロEP『HOW’S LIFE IN CALIFORNIA』(2010年)は、ナッシュヴィルに住んでる間に書いたスローな曲のコレクションでね。早くてアップテンポな音楽が好きで、聴くことや演奏することの範囲を広げてた一方で、ボクはまた、よりスローでムーディーなアーティスト、SIGUR ROSや、AURORAみたいなのも好きでね。ボクがよく演奏してるものより完全に異なるものを演奏できたことや、創造的な面すべてが違う部分を引き出せたことがよかったよ。その時期、ほかのプロジェクトもやった。OLYMPIC CRUSHのような、少しIHKに似た感じなんだ。ボクたちがIHKからDTにバンド名を変えた理由について、そのとき重要だと感じたからさ。その後ときが経ち、特にパンデミック(コロナ禍)の最中の昨年、たくさんの事柄と一般的な生活に対して、ボクの視点が変わってね。物事が不確実で、早急な変更も多々あった。愛する人々を愛しなさい、好きなことをしなさい、そしてもしDTに代わってIHK名義の下で音楽をリリースしたいなら、そうしなさい。その結果さ」
ーーDTとIHKとでは若干音楽的方向性が違うように思うんだ。もちろん曲や作品によって異なるけど、DTはIHKよりややハードだし、ダンサブルでもある。やはりDTとIHKとでは意図的に音楽的方向性を分けてるの?
「いい質問だね。それらのバンドに意図的に違いは出してないよ。音楽人が書くのは、聴く人が聴くことのできる範囲を広げることと、最近の自身の音楽的趣向の融合はとてもいいといつも考えてるんだ。DTの『RACE TO RED』(2010年)をレコーディングしてたときは、ちょうどDEPECHE MODEをよく聴いててね。作品全体にその影響が出てることがわかってもらえると思うよ」
ーー“A Place For Me”と“Violently Alive”の2曲をIHK名義で立て続けに公開したけど、その理由は?
「正直言うと、IHKの歌、曲をなかなか演奏できずで寂しかったんだ。ボクにとってIHKで曲を書いたり、録ったり、ライヴをやったりするということはいつも楽しかったから。いくつかアップビートな曲を書いた後に、“A Place For Me”を完成させたんだ。ボクのインスタグラムページで見るために、人気投票を行なったんだ。ボクの次回リリース作が早いか、スローか、そしてボクが思うに86%かってね(笑)。で、ボクは早いって。実際はひとつのアイデアを書き始め、なにかを思い出させる“Always Something” (It’s Always Better)”と”A Place For Me”を出したんだ。“Violently Alive”は、実は数年前にナッシュヴィルで書いた曲でね。だけど当時はあえて発表せず、今回IHKの曲として最高だと思い、公開したんだ」
ーーその2曲はジャスティンにとって、どういう曲?
「人間関係について書くことはいつも、僕の意欲をかき立てる題材でね。愛や失恋について書くことが好きなんだ。その2曲も例外じゃない。 “A Place For Me”は誰かがキミから去ること、そしてほかの誰にも取ることができないキミとつき合った思い出を特別な場所に秘めておくことを、彼女にお願いすることについての歌。“Violently Alive”はぬるま湯になった関係のなかで、互いに情熱的かつ熱烈だった時期を振り返る様子についての歌なんだ」
ーー気づけば、ZEBRAHEAD時代にジャスティンを何度も取材したけど、なぜかジャスティンの音楽的影響を聞いたことがなかったよ。主にどのへんのアーティストから影響を受けてるの?
「ボクが初めてギターを弾き始めたのが11歳のときで、VAN HALENが大好きだった。エディ(・ヴァン・ヘイレン)は今でもボクのお気に入りのギタリストのなかのひとりだよ。彼からの影響はかなり大きい。子供の頃、鏡の前に立ち、彼のフリをしながら“Ain’t Talkin ‘bout Love”を弾いてたよ。自分のギターの音色をエディのと同じようにすることを試したり、同じエフェクターをいくつも買ったりしたよ。続いてMETALLICAに夢中になったね。たくさんカーク・ハメットのソロを学び、11年生のとき(日本で言う高校3年生)に、ハイスクールタレントショウで”The Unforgiven”を弾いたんだ。次にパンクロックに夢中になった。DESCENDENTS、PENNYWISE GREEN DAYは、ボクの多くのことを変えたよ。音数が多く、速いギターソロを弾くことに興味がなくなったこともそのひとつで、キャッチーなメロディや、コード進行の曲で歌いたくなった。これがボクが歌うことを始めたきっかけだった。また、DEPECHE MODEを大好きになった時期でもあってね。デイヴ・ガーン(vo)と、マーティン・ゴア(g,key)は、いつの時期もお気に入りのソングライターだよ」
ーージャスティンがZEBRAHEADにいたのは約8年だよ。ZEBRAHEADを離れてから早くも17年が経つなどZEBRAHEAD在籍期間より長い月日が経ってるじゃない。ジャスティンにとってZEBRAHEADとは?
「ZEBRAHEADはボクのこれまでの人生においてとても大きなパートだよ。信じられないぐらいの経験と、たくさんのことを教えてくれた。ZEBRAHEADを始めたとき、ボクはまだ、ただの子供で、どれだけ活動していくかなんてまったく考えてなかった。言うまでもないけど、バンドは最高の事柄すべてに導いてくれた。時々、とても懐かしくZEBRAHEADで活動してた頃のことを思い出しては振り返るんだ。在籍中のツアーで出会った友だちが世界中にたくさんいる。ZEBRAHEADをとても誇りに思うし、心から感謝してるよ」
ーージャスティンの後を受けて加入したマッティ・ ルイスが最近、ZEBRAHEADから脱退したよね。この一報を聞いたときどう思った?
「はじめに思ったことは、“チクショウ!いったいなにがあったんだ?”だったよ。ボクはマッティに会ったことはないけど、彼が凄いフロントマン、シンガーであることは聞いたことがある。ZEBRAHEADに戻って!、っていうたくさんのe-mailやDMをもらったよ。マッティと、ZEBRAHEADの次のチャプターがベストなことを願って止まないよ」
ーーZEBRAHEADのメンバーとは連絡をとったりしてる?
「脱退したけど、グレッグ(・バーグドルフ/g,vo)と主に連絡を取りあってるよ。Z3N MAFIA名義で音楽を作り、2曲“Instafamous“と”Top Of The World”をすでに公開してる。今回のコロナ禍は、物事に対して違った視点をボクに与えたことについては先に言ったけど、最近アリ(・タバタビイ/rap)に連絡を取り雑談をしたよ。とてもよかった。と言うのも、彼はボクの結婚式に参列してくれたんだ。かつZEBRAHEADがまだ駆け出しの頃、最悪なモーテルの部屋をシェアしたしね(笑)。ボクはベッドの上でクラックパイプの話をしてたんだけど、そのとき大きなネズミが床を横切って走っていったんだゼ!(笑) 今となっちゃいい思い出さ」
ーー最後の質問です。コロナ禍でアメリカの音楽シーンもずいぶん様変わりしたでしょう。そうしたなかで今後どういうふうに活動していく予定です?
「なかなかタフな質問だな。実はボクは今心気症のため、人々から離れなければならない状態にあってさ(笑)。それで、ここ1年半の間ライヴをやってないんだ!1年半だゼ!正気とは思えないよな!音楽を始めた14歳のとき以来、まさかこんなことになるなんて思いもよらなかったよ。またライヴができることを、そしてまた日本に戻れることを楽しみにしてるし、ワクワクしてるよ」

ーーありがとうございました!

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心気症とは、自分がなにかしら重篤な病気にかかってるのではないかと思い込み、強い不安が生じる精神疾患。さまざまな検査を行っても、実際にどこが悪いということはなく、病気にかかっているかも、重篤な病気にかかるかも、といった不安は簡単に拭い去ることはできない、とある。不安に駆られ日常生活に影響が及ぶこともあり、日常生活や仕事の遂行が難しくなることもあるという。

ジャスティンのInstagramは以下の通り。
Instagram.com/justinmauriello

以下は、I Hate Kate/Darling ThievesのInstagram
Instagram.com/ihatekate_darlingthieves

I HATE KATEの、ここ2ヵ月で公開された新曲2曲のリンクだ。

I HATE KATE/”A Place For Me”
I HATE KATE/”Violently Alive”

また、文中に出てきた元ZEBRAHEADのグレッグ・バーグドルフ(g)とやるユニット、Z3N MAFIAの2曲のリンクだ。

Z3N MAFIA/”Instafamous”
Z3N MAFIA/”Top Of The World”

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