【2020.08.31更新】
Text by Hiro Arishima
Photo by Micah Smith(FUSEMEDIA)
SLIPKNOT時代にジョーイ・ジョーディソンがギターでやってたホラーパンクがかったメタルバンド、MURDERDOLLS。スリップノットが2nd『IOWA』(2001年)発売に伴う活動を終えた後、メンバー間の相互不理解が主な原因となりバンド崩壊の危機に陥った。最悪の事態を回避すべくメンバーそれぞれがバンドから距離をとり、“冷却期間”を置くためにメンバーの何人かは各々プロジェクトや別バンドを始めたのは承知の通りだ。
コリィ・テイラーはジム・ルートとともにSTONE SOURを復刻し、ショーン・“クラウン”・クラハンはソロスタジオプロジェクト、TO MY SURPRISEほかをやり、シド・ウィルソンはDJ STARSCREAM名義で音源を出し、ツアーも行った。そしてジョーイはウェンズデー13(vo)とタッグを組み、MURDERDOLLSを始動させた。
ホラー映画さながらのオドロしいメイクと、パンクロックとメタルのド真ん中をいくキャッチーなサウンドが日本でもいきなりウケた。1st『BEYOND THE VALLEY OF MURDERDOLLS』(2002年)を引っ提げ数回来日した。
その動きからもわかるように、ジョーイは相当MURDERDOLLSに入れ込んでた。当時所属の本国のレコード会社の会長に「いつまでもMURDERDOLLSばかりやってないで、もうSLIPKNOTの活動に戻れ!」とチクリとやられた、というエピソードが残ってるほどだ(笑)。ちなみに1st収録曲“Dead In Hollywood”で製作された初のMVには、マリリン・マンソンがチョイ役で友情出演してる。
でだ、SLIPKNOTが4th『ALL HOPE IS GONE』(2008年)発売に伴う全活動を締めくくった2010年夏、MURDERDOLLSは復活、2nd『WOMEN AND CHILDREN LAST』を発売し、USクラブツアーに出た。

その一環で行われた2010年6月17日のハリウッドにあるクラブ、Key Clubで開演前に写真撮影を実施した。有島はこの日現場にはいなかった。カメラマンはマイカ・スミス。30年来の友人で、彼は写真で有島がどういうものを必要としてるかを完全に把握してくれてるので安心して任せられた。
その夜のライヴ写真だ。
以下、当日のセットリストだ。
The World According to Revenge(intro)
Chapel Of Blood
Slit My Wrist
Twist My Sister
My Dark Place Alone
Summertime Suicide
Love At First Fright
She Was A Teenage Zombie
Die My Bride
People Hate Me
Complications
Death Valley Superstars
Welcome To The Strange
Motherfucker, I Don’t Care
197666
〈Encore〉
Dawn Of The Dead
Hybrid
Dead In Hollywood
I Love to Say Fuck
このときの写真は、その後弊誌GrindHouse magazineはこう使った。2010年7月31日発行のリニューアル創刊10周年記念号Vol.61の表紙と、中面のインタヴュー記事頁にと盛りだくさんだ。
この号発行から8ヵ月経った2011年3月、MURDERDOLLSは再来日した(サポートアクトとしてBLACK VEIL BRIDESが帯同)。初日10日の東京・渋谷TSUTAYA O-EASTでの公演を観た。その翌日の午後に所属の、当時のJPレコード会社のオフィスにてジョーイを取材した。取材を終えた後、同時期に来日してたMELVINSの取材が別の場所で控えてた。ただ、取材開始時刻までに時間的余裕があったので、そのオフィス近くのハンバーガーショップで遅めのランチをしつつ時間を潰してた。その最中に東日本大震災が発生したのだ。当然MELVINSの取材は中止。12日と13日に予定されてたMURDERDOLLSの東京公演2日目と、大阪公演もキャンセルに。2013年5月にOZZFEST JAPAN第1回が開催され、ジョーイもバンドに同行してたけど、同年暮れに脱退したため、MURDERDOLLSのとき以来彼には会えてない…。
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