【2022.07.28更新】
ありし日のチェスター・ベニントン、そしてLINKIN PARK…
text by Hiro Arishima
photo by Kentaro Kambe
LINKIN PARKのチェスター・ベニントンが亡くなってから早くも5年の月日が流れた。訃報を知らされたときの衝撃度は超ド級で、深い悲しみも今なお癒されないままだ。最上級のシンガー、フロントマンであり、またひとりの人間としても気さくですばらしい人だった。生前幾度も会い、対面取材をしてきたけど、いい思い出ばかりだ。
でだ、ここにこれまで未公開だった写真を公開する。フォトセッションの一部の写真は、2001年11月30日発行のGrindHouse magazine Vol.09 LINKIN PARK初表紙号に掲載した。
実は2001年5月に実現した、東名阪全公演ソールドアウトになった初来日公演を観れてない。公演決定が発表される前に組んでた海外出張の日程と、初来日公演の日程がブッ被りだったからだ。離日ギリギリのタイミングで、バンドのメンバー全員、JPレコード会社の当時の担当氏とランチをともにし、その流れでブラッド・デルソン(g)に対面取材した。しかしながら東京公演は観れずじまい…まさに後ろ髪を引かれる思いで海外出張に旅立ったのだった…。
帰国後、初来日公演のすべてが大変盛り上がり、デビュー作『HYBRID THEORY』のCDセールスもさらに伸びてる、との報告を受けた。で、初来日公演が観れなかった悔しさと、LINKIN PARKをそれまで以上に多くの人たちに知ってもらえる機会がきた、との確信を得た。そして、バンドがFamily Values Tourに参戦することを知った。しかし、出発前の2001年9月11日に対米同時多発テロが勃発。アメリカ国内は大混乱し、日本の音楽業界には海外出張禁止令が出された。それでも、どうしてもこのタイミングでGrindHouse magazineで初LINKIN PARK表紙・巻頭特集をやりたかったので、周囲の制止をすり抜けながらニューヨーク州オーバニーへと飛んだ。そして10月23日、ペプシ・アリーナで観た。
このときはまず会場周辺と、会場内のバックヤードで写真撮影をした。こちらのリクエストに気軽に応じてくれて、とてもスムーズにことが運んだことを覚えてる。
撮影終了後、マイク・シノダ(vo)とジョー・ハーン(dj)を個別にインタヴューした。
このときのFamily Values TourにはトリにSTONE TEMPLE PILOTSが据わり、STAIND、STATIC-X、DEADSY、そしてLINKIN PARKという顔ぶれだった。“Dead & Bloated”をやり始めたとき、チェスターがSTONE TEMPLE PILOTSに飛び入り参加し、スコット・ウェイランドとデュエットした。ご存知の通り、後にチェスターはSTONE TEMPLE PILOTSに加入するわけだけど、こういったことも伏線になったのかもしれない…。
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