ポスター展示館 第10回

【2020.10.05更新】

文・有島博志

KORNの2nd『LIFE IS PEACHY』は1996年10月に発売された。バンドはまず、本国US各地をサーキットし、年が明けた1997年1月より欧州25箇所を巡演した。1st『KORN』(1994年)でグイッと頭角を現し、相当注目度が高まっており、それを物語るようにロンドン公演は、集客可能人数約5,000人のデカバコBrixton Academy(現02 Academy Brixton)が会場として使われた。この欧州ツアーは観てないけど、当時KORNとImmortal/Epic Recordsのレーベルメイトで売り出し中だったthe URGEとINCUBUSがサポートアクトとして同行した。会社を以前のビルに置いてたときにずっと壁に貼ってた。経年もあり、けっこうボロボロだ(笑)。

自分が初めてKORNのライヴを観たのは、1st発売からだいぶ経ってからのことだった。ハリウッドのThe Palace(現Avalon)で。ロサンゼルス出張に別のアーティストの取材でいった際、KORNのライヴがあることを偶然知った。知ったのがライヴの前日だったことから当然ライヴはソールドアウト。そのライヴが観られる策をいろいろ探ったけど、なにしろ時間的余裕がないことがネックで、仕方なくサンセットブールヴァード沿いにある公営のダフ屋にいきチケットを購入した。1枚50ドルだった。
余談だけど、実はここの公営のダフ屋を利用したのは初めてじゃなく、2度目だった。1992年4月下旬に起きたロサンゼルス暴動。警察のあり方を真っ向から批判した“Cop Killer”でさんざん物議を醸したラッパー、アイス-T率いるBODY COUNTのライヴがロサンゼルスのダウンタウンのシアターであった。この騒動のただ中のライヴだっただけにソールドアウト。それでもライヴが観たかったので仕方なく、友人の紹介で知った公営のダフ屋にチケット購入を頼った。確か1枚70~80ドルぐらいだったと思う。アメリカのコンサートチケット代にしては高額なわけだけど、ライヴ自体は大いに楽しめた。
話をKORNに戻そう。The Palaceで観たライヴは凄まじかった。それを体験したことは自分にはとてつもなくデかく、2nd発売を機会に率先してバンドのプロモーションに係わるようになった。バンドを初めて対面取材したのは、2ndのUSツアー中。ワシントン州シアトルの、ライヴ会場となったスポーツアリーナ(会場名忘れた:汗)で捕まえ、開演前にジョナサン・デイヴィス、マンキー、ヘッドにそれぞれ個別に話を聞いた。当時はまだGrindHouse magazineは創刊前だったことからインタヴュー記事をマンキーとヘッドのを『YOUNG GUITAR』誌に、ジョナサンのを媒体名は逸してしまったけどストリートファッション誌に掲載していただいた。自分が撮ったそれぞれのインタヴュー映像もあり、一部TVKの音楽番組で使った。

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