Reconsideration(再考論)第1回

【2020.08.25更新】

文・有島博志

https://grindhouse.site/archives-livereport-orgy/
ライヴリポを受けて言うけど、ORGYが好きだ。出会いは1998年――。ときはいわゆるヘヴィロック、ミクスチャーロックとそれまでにはなかった音楽、アーティストが次から次へと出てきては注目を集め、グッイーンと頭角を表してた。ニューメタルなる音楽的造語もあったけど、自分はどうもその言葉にしっくりこず。当時ほとんどと言っていいほど使ったことがなかった。ORGYの1st『CANDYASS』はその最中の時期に発売された。KORNのレーベル、Elementreeからのデビューということにももちろん興味を持ったけど、ORGYの音楽は他のヘヴィロック、ミクスチャーロック勢とは一線を画す画期的なもので惹かれた。「わあ、こんなバンド出てきちゃったよ!」といったふうに(笑)。
それまでのインダストリアルロックとはまったく違うエレクトロ色の強いサウンドは、まさに当時唯一無二のものだった。全体的にうっすらとダーク、それでいてメロが立ち、曲尺も長くもなく短くもなくで覚えやすい。ジェイ・ゴードン(vo)の歌声も耳に残る。UKニューウェーブバンド、NEW ORDERの代表曲中の代表曲“Blue Monday”のカヴァーはダンスチャートを駆け上がるなど、ダンサブルな一面も持つところもバンドの特徴のひとつだ。また、“Revival”には曲作りとヴォーカルでKORNのジョナサン・デイヴィス(vo, bagpipe)が参加してる。作品発売から程なくしてライヴが観れたのもラッキーだった。KORN主宰のパッケージツアー、Family Values Tour第1回にオープニングアクトとして帯同してた。ロサンゼルスとサンフランシスコの2公演観たけど、両公演とも大歓待されてた。作品発売からまだ2ヵ月しか経ってない、間もない時期にもかかわらず、すでにバンドが周知されてる…これはもうアメリカならではのラジオによる力だ。『CANDYASS』聴いてみてほしい。

『CANDYASS』を聴き、ライヴも2度観て、素直に「ORGYに来日してほしいな」と思った。それを実現させるのはそう容易いことではないことぐらい重々承知だったけど、来日してほしいほしいとと言うのはしごく簡単だし、また、ただ机に座ってあーだこーだ考えててもなにも起こらないし、変わらない。で、2nd『VAPOR TRANSMISSION』(2000年)発売タイミングで動いた。まず当時のJPレコード会社に話を持ちかけた。だけど予想通り、現場には“オージーのオの字”もなく、建設的な話には発展しなかった。よって取材、写真撮影のセットアップのみお願いした。鳴り物入りのニューカマーならいざ知らず、まだ実績もない新人はこういうのが普通、当たり前だ。当時の洋楽ロックの新人アーティストのCDセールスにおけるひとつのバロメーターは、日本盤と輸入盤の合算で5,000枚以上だった。この数字をクリアしたり、近づいたりした場合、“優秀新人”との空気があった。『CANDYASS』の実績は正直、その半分にも達してなかった。
『VAPOR TRANSMISSION』の音楽性、そして作風は、大元の根っこはブレずも、『CANDYASS』のそれらとは若干ニュアンスやタッチが異なってた。よりデジタルデジタルしてたし、ヴィジュアルイメージも相まってフューチャリスティックだ。

電話取材だと相手の人柄までを掴みとるのは難しい。それに、ひとりに限定されてしまうのが普通。メンバー全員が「どんな人なんだろ?」と興味があったし、取材だけじゃなく、写真撮影や他の素材どりもしたかった。よって、現地取材をすることにした。場所は、ロサンゼルスのバーバンクのリハーサルスタジオが指定された。バーバンクのとあるエリアには映画関係、音楽関係のスタジオが密集してる。トミー・リーのソロ作『NEVER A DULL MOMENT』(2002年)の取材や、写真撮影もこのエリアにあるスタジオだった。で、スタジオを訪れたとき、バンドは『VAPOR TRANSMISSION』ツアーに出る前のリハーサルに明け暮れてた。「メイクに時間がかかり、ステージコスチュームもここにない」という理由で残念ながら写真撮影はNGとなった。この写真を見れば、撮影NGも無理からぬことだった。

それでもジェイ、ライアン・シャック(g)、アミア・デラク(g)、ペイジ・ヘイリー(b)に話が聞けた。実はアミアは80年代後半、LAメタルバンド、ROUGH CUTTの一員として来日したことがある。下記、ROUGH CUTT時代のアミアだ

帰国後、早速作業にシフトした。当時Inter FMと広島や愛知などの地方FM局でやってたラジオ番組、GrindHouse fmで毎週ORGYの楽曲をかけ、バンドに関する話をした。GrindHouse magazineでは2号連続で現地取材記事を掲載した。弊誌としては異例中の異例のことだった。そのかいあってか、『VAPOR TRANSMISSION』のCDセールスの初動は順調との報告をJPレコード会社より受けた。で、「じゃ次は…」と思ってたときに突如飛び込んできた、衝撃的な一報…ORGY、Elementree/Elektraからの離脱だ。正直、解せなかった。『CANDYASS』は本国で50万枚以上売れゴールドディスクを獲得、『VAPOR TRANSMISSION』も同様の成功を収めるなど、ちゃんと“実績”は作ってたのだけど…。次にバンドが新たなメジャーレーベルに移籍しない限り、自分の「来日してほしいな」の想いは形にはならない。実際、本日までその状態は続いてる…。
それから約3年後の2004年、3rd『PUNK STATIK PARANOIA』が発売された。リリース元はD1 Musicなる、このとき初めて聞くレーベルで当然コンタクトはなかったし、日本盤化もなかった。

作品に寄せた期待感があまりにもデカ過ぎたのか、第一聴時「ぇ?」と。前2作とガラリと違うサウンドアプローチで、肩透かしを喰らったような想いを味わわされたように思えた。まあいちファンの期待にバンドが応える必要なんてないのだけど、そのときは本当にそう思った。言い方はよくないけど、自分には当時ありがちな普通のヘヴィロックにしか聴こえなかった。それから少しして、ライアン、アミア、ペイジ、ボビー・ヒューイット(ds)が一斉に脱退、一時ジェイひとりになってしまうというバンド存続の危機に直面する。ライアンとアミアはORGY脱退後も行動をともにしエレクトロプロジェクト、JULIEN-Kを始動させ、並行してLINKIN PARKのチェスター・ベニントン(vo)の別バンド、DEAD BY SUNRISEに参画し、『アウト・オブ・アッシュズ』(2009年)を出し、ツアーにも出た。その一環で2010年1月に来日もした。その際話を聞く機会があったので、「なぜORGYを脱退したの?」と訊いてみた。2人はこう言ってた。
「いろいろ理由はあったけど、一番大きいのは音楽的に次のステップに進みたかったんだ」とライアン。
「あのときボクたちはそういうタイミングにきてたんだよね。自然な流れだったよ」とアミア。
ジェイ以外の顔ぶれが一新されたORGYは、2015年7月に『PUNK STATIK PARANOIA』から実に11年ぶりとなる4th『TALK SICK』(日本盤未発売)を同じD1 Musicよりリリースした。

『CANDYASS』『VAPOR TRANSMISSION』初期2作と、『PUNK STATIK PARANOIA』のド真ん中をいく作風と言いたいところだけど、エレクトロ色はまぶされてるものの初期2作のそれとは趣を異にしてるし、ダンサブルな曲調が多く、踊れる。好きな作風だ。
なかでも“Talk Sick”“Spells”“Suck It”“G Face”などが好きだ。
ただ、『PUNK STATIK PARANOIA』発売後のメンバーチェンジは止まらず。ジェイ以外の顔ぶれは常に流動的だ。2018年にもメンバーチェンジがあり、この顔ぶれでクラブツアーに出てる。

ORGYのライヴがまた観たいし、いつかは来日してほしい。この想いは変わらない。
ちなみに、このTシャツはFamily Values Tour第1回で初めてライヴを観たときに購入した。ホントによく着てた。時折「オマエはORGYの宣伝部長かよ!」と自分で自分にツッコミを入れてたほど(笑)。

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