Tシャツ博物館 第16回

文・有島博志

SMASHING PUMPKINSは、これまでに11枚のオリジナルアルバムを残してきた。そのなかで常に個人的トップ3に入る1枚が、2nd『SIAMESE DREAM』(1993年)だ。
バンドが初来日したのは1992年2月のこと。1st『GISH』(1991年)ツアーでだったけど、残念ながらこのときは観れなかった。交通事故に遭い重傷を負い、長期入院してたからだ。これが原因でほかにもFAITH NO MOREやDAISY CHAINSAWなどの初来日公演も、NIRVANAの唯一の来日公演も観ることができなかった、という悲しい思い出がある。よって、せめても『SIAMESE DREAM』ツアーで再来日する前に、本国でライヴを観たいと切に思った。たまたまいいタイミングでロサンゼルス出張にいくことが決まってたので、それにひっかけてネバダ州ラスベガスまで足を伸ばしてライヴを観てきた。1993年初秋の頃だった。
ご存知の通り、ラスベガスはアメリカ最大級の歓楽街、カジノの街だ。だけどその中心部から外れ少しいくと、アメリカのごく普通の町並みが広がる。当時バンドは“ブレイク前夜”にあり、『SIAMESE DREAM』発売後クラブツアーに出てた。会場名を逸してしまったけど、キャパ数百人のちっちゃな会場だった。当然のごとく、場内は観客で満杯で身動きできないくらいのキッツキツ状態。
なにしろ四半世紀以上前のことだ。バンドはステージでどうだったのか、の記憶が相当薄れてる。とても印象的だったのが、バンドが本編セットとアンコールを終え、ステージを下りた後少しして、頭から大きな白いタオルを被ったビリー・コーガン(vo,g)ひとりが再び姿を現した。そしてステージ中央のマイクスタンドの前に立ち、客席に向かって手を合わせ無言で数十秒こうべを垂れてたのだ。ものスゴい盛り上がりを見せた観客に、感謝の意を表してたに違いない。そして、会場を後にする前にマーチテーブルで下記ロンTを購入した。

黒Tが多いので、たまには白もいいだろう。そして季節的に秋だったし長袖もアリだ、と即これに決めた。ちなみに、バックにプリントされてる英文メッセージの翻訳はこうだ。

「これはSMASHING PUMPKINSのTシャツだ。なぜオレがこれを着ているのかを問うよりも、キミ自身になぜ自分がこれを読んでるのか?を問え。そのメッセージにはメッセージはない。100万の魂が彼らの苦労して稼いだドル札をひとかけらの高温岩石のインディ―・オルタナティヴ・パイに投じる(作品にお金を落としてくれる)。オレは売った。キミたちはどうだろうか?彼らはそうではないと言ってもみんなそうしてる。オレには聞かないでくれわからないから。ロックが救う。それは次の大きな事柄だ。キミは次の大きな事柄について聞いたことはあるか?オレはその革命のひとりだ。もうすぐすべて降りてくる。キミがそこにいることを願ってる」

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